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Zingali
1.12 \2,600,000(ペア/税別)
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Holly
Cole Trio "Don't smoke in bed"
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BLADELIUS
"Syn"+"Tyr"
前後方向への音の広がりが抜群。ボーカルとバックの楽器の位置関係がとても自然だ。
ウッドベースは低域方向に伸びやかだが、ふわっと広がる感じで強引に前に出てくるような音ではない。塊感、強さなどオーディオ的にはやや控えめに感じられるが、アコースティックベースには本来こういう音の出方がふさわしいと思う。ハーモニカも切れ味があって心地よい。ボーカルは艶やかに歌い、セクシーで厚みがある。
BLADELIUSの特徴は、軽やかに大きく広がる空間と美しい色彩感にあるが、特に私が気に入っているのは、「楽器や声の音色」がカラフルに再現されることだ。"Syn"+"Tyr"を組み合わせるとレコード時代に良質なカートリッジ(初期のSPUやEMTなどは抜群、DENON
DL-103などの国産カートリッジはそれほどでもなかった)を使ったときだけに出た、あのカラフルな音色がCDからも得られる。
Zingali
1.12との組合せでは、過去に聞いたどんなCDプレーヤーとアンプよりもホリー・コールが暖かい体を持った「いい女」に聞こえる。高価なオーディオセットでもなかなかこんなに「おいしい音」」は出ない。数え切れないほど多くの機器を聞いてきた私がそう感じるのだから、"Syn"+"Tyr"が凄いのは間違いがない。
音の滑らかさや色彩感には文句の付けようがないが、欠点は音の厚みが少なく「軽い」こと。この価格の製品にそこまで望むのは酷だけれど、これでもう少し「音の濃さや厚み感」が感じられれば申し分がない音になる。音調は美しく、立体感も抜群だが粒子がやや希薄。そんな感じだ。
この組み合わせで私が最も気に入ったのは「ピアノの音」だ。ベーゼンドルファーやスタインウェイなどの高級ピアノは「独特の心地よい音色」を持っている。金属と木の響きが混ざり合った、ピアノ独自の美しい音色だ。学校のピアノでは感じられない、色気のある音色を高級なピアノは持っている。しかし、多くのオーディオセットで聞くピアノには「その音色」が感じられない。「響き」が足りないからだ。
ホリーコールの演奏に使われているのはアップライト型のピアノだと思うのだが、それでも"Syn"+"Tyr"で聞くと、あのピアノ独特の美しい音色がふんだんに感じられる。ピアニストの指が鍵盤の上を踊るように走り、音楽が溢れ出してくる。その楽しさが手に取るようにわかる。
ウッドベースも指使いがよくわかる。フレットのない楽器特有の複雑なニュアンスが生々しく再現される。ベース奏者の「左手(右手ではなく)」が奏でるリズム感もきちんと出る。弦を押さえ、ゆるめ、ビブラートをかけ、リリースする瞬間までの音の変化が良く聞こえる。サックスやハーモニカに使われている「タギング」の再現性も見事だ。楽器から音を作り、それを音楽に昇華させる。その一連の一糸乱れぬ見事な流れが克明に再現される。
楽器の音と奏法が音楽的に正しく再現されるのは高級コンポの資質として何より重要だが、"Syn"+"Tyr"は、この価格でありながらそれを高い次元でクリアする。結果、伴奏とボーカルはすばらしくマッチングし音楽が躍動的に楽しく聞ける。CDを丸々一枚聞き終わった時、"Syn"+"Tyr"!素晴らしい演奏を聴かせてくれてありがとう!素直にそんな気持ちになれた。耳の肥えた私をこんな気持ちにさせてくれるオーディオセットは、余り多くはない。
Unison
research "Unico CDE"+"Unico 100"
音が出た瞬間!アッと思う。"Syn"+"Tyr"と比べて格段に音の“質感”が高まったからだ。
体を包み込むような豊かな音の広がりは少し小さくなるけれど、音の粒子は細かくなり、細かいディティールが表現されるようになる。音が明るい。部屋の空気が乾いてゆくようなこの感覚は、まるでスウェーデンで感じた空気とイタリアで感じた空気の違いそのままだ。
ピアノの色彩感はきらびやかさを増すが、音色は少し単調になる。ベースは押し出しが強くなるが、前後の立体感がやや薄くなる。ボーカルはエネルギッシュになるが、やや細くなる。帯域が上下に広がった分、中域がやや薄くなった感じがする。ホリー・コールの声は、ややかすれて聞こえる。あきらかに"Syn"+"Tyr"に聴き劣る。こんなはずではない。この一週間、徹底的にこのセットを聞いていたが、こんな印象ではなかったのだ。
CDの出力を確認する。実は、このCDプレーヤーには出力レベルの切り替えがある。レベルを大きくすると、かなり音が大きくなる(出力電圧が高くなる)ので、一部のアンプでは過大入力となり音が歪んでしまうはずだが、もちろん標準のセットではその高出力で問題なく使えるようにセットされている。これは想像だが、出力に使われている真空管の音をよりのびのびとさせるために、フィードバックを少なくできる高出力レベルを搭載しているのではないだろうか?
やはり!出力が標準のままだった。高出力に切り替えて、試聴を最初からやり直す。
前後方向への立体感と音の広がりが増す。ベースの切れ味は良く、低音が後を引かずにビシッと止まる。この低音の制動力はプリメインアンプのレベルを遥かに超えている。この大きな筐体、大型の電源トランスは伊達ではないのだ。
中域の厚みも増して、ホリー・コールの声が「ああ!こんな感じ」になる。良い意味で"Syn"+"Tyr"よりも癖が少なくまともな音だ。逸脱しない範囲の中で安心して音楽を聴ける。ピアノも厚みを増し、右手と左手のバランスが改善する。打鍵感(アタック)がより明確になる。間接音よりも直接音が多く聞こえるようになるが、これがまっとうなバランスだ。
"Syn"+"Tyr"との聞き比べで興味深いのは、同じソフトで「これは良い!」と思えるナンバー(曲)が明らかに変わることだ。"Syn"+"Tyr"にはしっとりとした曲が、"Unico CDE"+"Unico 100"にはアップテンポな曲が合う。のびのびと元気よく明るい音。地中海の青い海と真っ赤な太陽の激しいコントラスト。マフィアを生んだシチリアの熱い血潮。情熱のエネルギーを感じさせる仕上がりだ。
AIRBOW "SA15S1/Master"+"PM15S1/Master"
チューンナップ前のSA15S1+PM15S1の組み合わせは、緻密な音だけれど温和しく、感情に触れる部分がやや薄い感じがある。LUXMANを例外として国産のオーディオ製品の多くは、そういう傾向がある。中には価格が高くなればなるほど、なおさら情が薄くなる製品があるから問題は深刻だ。なぜなら音楽の表現力に不満を覚えて上級機に買い換えても「音楽をより熱く感じたい」という要求は、ますます満たされないからだ。また買い換える。それではまるで、渇きが癒されない水を延々飲まされているようなものではないか。疲れ果て、オーディオに背を向ける方が少なくないことを私は残念に思う。情熱的な音を出すコンポは、探せば見つかるのだから。
そういう感情のない音、音楽を聴いて感動しない音に嫌気がさして、自分の好きな音、情が感じられる音を目指しメーカーの協力を得て生み出したのがAIRBOWのチューンナップモデルだ。それがライバルとするのは、今回テストしたようなたっぷりとした情感を持つヨーロッパ製のオーディオである。当然それらとの比較は、出来映えの最終チェックにふさわしい。自信はあるが、今回は私自身気に入っている好敵手中の好敵手だから、胸を借りるつもりで比較テストを行った。
今回のモデルで私が目指しているのは、音をよりよく聞かせるよりも音楽をより「上手に!」聞かせるための性能だ。だから"Syn"+"Tyr"のように生で聞くよりも生々しく感動的にソフトが再現されても驚きはしない。しかし、実際の仕上がりは?前置きはこれくらいにして、音のチェックをしてみる。
"Syn"+"Tyr"との比較では、柔らかさ、色彩感で"Syn"+"Tyr"に分があるのは否めない。"SA15S1/Master"+
"PM15S1/Master"の音はもっとストレートだ。真っ直ぐに逸脱しない範囲で、音楽を深く静かに再現する。癖のない真水のような音。もちろん音を決めている自分自身がテストをするのだから、癖は感じられなくて当然なのだが、それを考慮してもAIRBOWでこのソフトを聞くと"Syn"+"Tyr"にくらべ「静か」な感じがする。決して動きがなく音楽的な感動がないわけではない。ただ“動きの絶対値”が小さく感じられるのだ。
古い話で恐縮だが、2000年にベルトドライブ型CDプレーヤーを発売したとき、ステレオサウンド氏の評論でその音には、「幽玄の世界」が感じられるという評価を受けたが、"SA15S1/Master"+"PM15S1/Master"の組合せをヨーロッパ製の2機種と比べると、それとまったく同じ印象を持つ。色気がないわけではないが、その色彩は極彩色ではない。色彩感のコントラストを高めるのではなく、中間色の表現をより細やかにして内面を深く表現している感じだ。花にたとえるなら桜や紫陽花の持つ中間色の美しさ、それが"SA15S1/Master"+"PM15S1/Master"の持ち味だ。淡さの中の色彩を楽しむ。そんなイメージで清楚なホリー・コールが鳴る。
"SA15S1/Master"+"PM15S1/Master"の良さは、癖のなさだけではない。伴奏と完全に分離したボーカルがスピーカーの中央にびしっとコンパクトに定位する定位感の良さは、他の2機種では感じられなかったものだ。それはベースモデルPM15S1の「セパレート思想」、左右の音の混ざりを極力抑えたチャンネルセパレーションの追求から生み出されるものだ。
高音は空高く伸びてゆくが、決して過剰なものではない。ツィーターが鳴っている感じではなく、あくまでも楽器の高音の美しさとして再現される。中音には、適度な湿りと厚みが感じられる。低音は凄いと感じたUnico
100を越え、テストした3機種の中で最も締まりがあるのではないだろうか?余計な響きが少く、重厚感や超低音への伸びやかさも十分だ。こんなに小さいプリメインアンプから出る低音とは思えないほどだ。Unico
100同様、プリメインアンプでありながら、まるでセパレートアンプのように1.12の大型ウーファーを完全に駆動する感覚がある。今回はステレオモードでテストしているが、Marantzオリジナルモデルの機能を生かして複数のアンプを同期させ、モノラルやBi-Ampなどにグレードアップすると音はもっと良くなるかもしれない。もしそれが事実なら、低価格のセパレートアンプは出番がなくなるだろう。
楽器やボーカルはとても自然で、スピーカーから音が出ているように聞こえない。「録音の癖」が完全に消し去られ、オーディオが鳴っている感じがしない。あくまでも何の隔たりもなく、目の前で楽器が鳴りボーカルが歌っているように聞こえるだけだ。演奏の現場が目の前に出現する。リスナーと演奏を隔てるものは、もはや何もない。
マスターテープに収録された「音楽」が、作り替えられることなく目の前に再現される。言葉では上手く表現できないが、あるべきものがあるべき場所に存在する安心感を覚えながら、音楽を深く静かに、そして十分感動的に楽しむことができた。
BLADELIUS
"Syn"+"Tyr"
Zingali
1.12+Holly Cole
Trioの組合せとは、音の出方がガラリと変わる。
前後方向への音の広がりが浅くなり、ボーカルと楽器が横一列になる。色気や色彩感も薄くなる。音像も散漫になり中央の定位が不明瞭でノラ・ジョーンズの口はかなり大きく、あまりおもしろくない音だ。
全体の雰囲気や質感は決して悪くないのだが、なんだか不自然で楽しくない。組み合わせるスピーカーでこんなにも音が変わるのだろうか?それともソフトを変えたせいだろうか?
細かいディティールは、きちんと表現されているが音が散漫で音楽に集中できない。そんな感じになった。直前に聞いたZingali
1.12+Holly Cole
Trioの組合せが、あまりにも素晴らしすぎたのか?音質を饒舌に語ることができなくなってしまった。
Unison
research "Unico CDE"+"Unico 100"
"Syn"+"Tyr"で感じた音像の散漫さは、"Unico
CDE"+"Unico
100"でも変わらない。どうやらシステムやスピーカーのせいではなく、どうもソフトの録音状況の問題らしい。今までは余り気にしていなかったが、Zingali
1.12 + Holly Cole
Trioの立体感溢れる音を聞いてしまったために、それが余計に耳についたのだろう。
それでもスピーカーを変えたことで"Syn"+"Tyr"と"Unico
CDE"+"Unico
100"の音質(音のクォリティー)に、はっきりとした差がついた。どうやら"Syn"+"Tyr"とZingali
1.12の相性は抜群に良かったらしい。多分、"Syn"+"Tyr"の甘さをZingali
1.12のホーンの切れ味が上手く補えていたのだろう。Vienna
Acoustic
T3Gとの組合せでは、その甘さが裏目に出て音がややボケてしまったようだ。
この組合せでの"Syn"+"Tyr"との大きな違いは、定位感にある。音の輪郭や楽器のアタックが明確になり、個々の分離や音色の違いがはっきりする。ボーカルの中央定位も改善され、口も小さくなる。
"Syn"+"Tyr"では、音が散漫になってしまい楽しめなかったこのソフトを"Unico
CDE"+"Unico 100"で聞くと、最新機材を使って集力されたHiFiの良さが出る。一つ一つのパーツとして磨かれた音の品位が音楽の表現力を高めている。ボトルネック奏法らしきスティールギターの滑らかで連続的な音、パーカッションの鋭い音、オーバーダビングのハーモニーの重なり、それぞれの良い音が音楽を聞く楽しさを引き立てる。
演奏の全体像をスペクタクルに展開することで音楽の良さを引き出した"Syn"+"Tyr"に対し、各々の音をしっかりと描き出すことで音楽の良さを引き出した"Unico
CDE"+"Unico
100"。古典的な音と現代的な音。それぞれを絵に描いたような好対照な結果となった。
AIRBOW "SA15S1/Master"+"PM15S1/Master"
相変わらず口は少々大きいが"Unico
CDE"+"Unico
100"よりも定位感は向上し、音像の散漫さはほとんど気にならなくなる。やはりベースモデルの「精度の高さ(チャンネルセパレーションの高さ)」が効いているようだ。
"Unico
CDE"+"Unico 100"の勢いの良い演奏に対し、AIRBOW
"SA15S1/Master"+"PM15S1/Master"は演奏を知的に組み立てて聞かせるイメージだ。どこかClassicに通じるような落ち着きと繊細さが感じられ、楽しむと言うよりは鑑賞するという言葉がふさわしいような鳴り方をする。"Unico
CDE"+"Unico
100"のような底抜けの明るさやコントラストの強さは感じられない代わりに、中間調の細やかな表現がそれを補う。聴き方、聞かせ方は明確に異なるが、音楽を聞く楽しさは甲乙付けがたい。
今回試聴したソフトはSACDに対応していない"Unico
CDE"に合わせてCDを選んだが、SA15S1(Master)はSACDにも対応するから、試しにSACDの同じタイトルのソフトを聞いてみる。高音の色彩感の鮮やかさが少し向上する。高音の伸びやかさも良くなり、天井が高くなる。しかし、反比例して低音の量感がやや薄くなった。SACDでも音調はCDと同じで、マスターテープを聴いているような癖のない印象は変わらない。この程度の違いなら別にCDでもかまわない。決定的と言えるほどの大きな差ではないと感じた。
BLADELIUS
"Syn"+"Tyr"
ビリー・ホリデイの初期の録音を出して聞く。音源はヴァーブ。プリントは、WEST GERMANY。今は手に入らないけれど、音質は確かな一枚だ。
今回組み合わせるMinima
Vintageと"Syn"+"Tyr"は、私がベストマッチングと絶賛するお薦めセットだ。だから、やはりといってしまえばそれまでだが、テープヒス、スクラッチノイズ、ボーカル、拍手、そのどれもが素晴らしく暖かく、本当にレコードを聴いているように心地よく、当時のままが現代に蘇るように完璧に再現される。
ビリーホリデイの声や台詞(MC)も実に生々しい。全体のバランスが素晴らしく自然で、音楽としてのまとまりがすごいから、オーディオとしての評価ができなくなってしまう。ただただ、ソフトに聞き惚れる。
暖かい肉体感に満ちあふれた音。最高級のレコードを聴いているようだ。心地よいこのすばらしい音楽の世界にただこの身を委ねていたい。
この音を聞き、この世界に触れてしまうと最近の音楽が聴けなくなる。大人の世界、完成されたお洒落な世界、これ以上の素晴らしい世界がこの世にあるのだろうか?3号館に設置しているStress
Less Chair Ekornesに抱かれながら、何一つ文句なく聞き惚れてしまった。素晴らしい桃源郷に誘われるこの音を、私はこれから先オーディオを続けても決して忘れることはないだろう。
Unison
research "Unico CDE"+"Unico 100"
音が出た瞬間、良い意味で裏切られた。あれほど素晴らしいと感じた"Syn"+"Tyr"に比類する音が出るとは考えていなかったからだ。"Syn"+"Tyr"で聞くこのCDはしっとりとして、あたかも小さなナイトクラブのお洒落なプライベート・ライブを聞いているようだ。ビリー・ホリデイが私だけに歌いかけてくる。ビリー・ホリデイの独り占めが実現する。それに対し同じソフトが、"Unico
CDE"+"Unico
100"ではもう少し大きなホールのステージを見ているような印象になる。
細かい音はこちらの方が多く聞こえるが、少しHiFi調にも感じる。よけいな音まで聞こえる?と言えばいいのだろうか?"Syn"+"Tyr"で感じた、良い意味でのソフトフォーカス感や、セピアなイメージが消えて、最新の整ったライブを聴いているようなイメージに変化する。音は間違いなく"Unico
CDE"+"Unico
100"の方がよいのだが、"Syn"+
"Tyr"が醸し出す、あの得も言われぬ独特の雰囲気を知った後では、なんだか少し物足りない。
Minima
Vintageと"Syn"+"Tyr"の組合せは本当に魅力的で麻薬的な音が出る。"Unico
CDE"+"Unico
100"の音調は、すでに他の組合せで書いたのと変わらない。明るくドライで、明快な音だ。イタリア的、燦々と降り注ぐ太陽の輝きのような、躍動的でコントラストの強い音。両者の音はハッキリと異なるが、どちらの組合せも「演奏の場が思い浮かぶ」。だから、オーディオとしては最高級に分類して良いと思う。
AIRBOW "SA15S1/Master"+"PM15S1/Master"
音質は素直で美しい。ボーカルはコンパクトに浮かび、伴奏との位置関係や距離感も正確に出る。音楽的にも端正にまとまっているが、なぜか場の「空気感」が感じられない。目の前で演奏が行われている感覚は強いのだが、聴衆と同じ場所でライブを聴いている感覚が薄い。一緒になって聴くと言うよりは、観察する、鑑賞するというイメージがある。"Syn"+"Tyr"のように古い演奏が鮮やかに蘇らない。やはり古い演奏が古く聞こえるのだ。
理由は分かっている。ノラ・ジョーンズでは効果のあった「セパレート思想」がこういうシンプルなマイク構成で収録された古いディスク、特にモノラルでは逆効果になるからだ。つまり、左右の音が完全に分離してしまうために、左右のスピーカーの音がまとまらないのだ。こんな時にはレコードになぞらえて「チャンネルセパレーション」を落とすのが効果的だ。つまり、右のチャンネルの音を左に、左のチェンネルの音を右に、少しリーク(漏らして)やればよいのだ。そうすることで、あたかもセンタースピーカーを使ったように中央定位と奥行き、演奏の実在感を向上できるのだ。
AIRBOW "SA15S1/Master"+"PM15S1/Master"には、それを実現できる良い方法がある。PM6001/LIVEやPM8001/Studioにも搭載されている“「TONE」回路を迂回するスイッチをOFFにして”トーン・コントロール回路に信号を流すのだ。こうすると、左右の音が少し混じる(チャンネルセパレーションが低下する)のだ。この方法はMarantz製品だけではなく、トーン・コントロール回路を迂回するスイッチ(DIRECT、PUREなどのスイッチ)が装備されている多くのアンプで同様に使える。「雰囲気が足りない」、「場の気配がもっと欲しい」と思われたなら、「あえて音の純度を下げる方法」をお試しになって損はないと思う。
実は冒頭に書いた「国産アンプは雰囲気が薄い」というのは、こういう「音を良くすることだけしか考えていない開発や音決め」に問題があるのだ。日本のオーディオメーカーの技術者(ばかりではないが)には、音だけではなく「音楽」の聞き方、再現方法をもっと積極的に学んで欲しいと思う。数字やデータばかりにとらわれると「音楽」が分からなくなる。「音楽性」という言葉は、まやかしではない。それを感じとれる「見識」が身につけば自ずと理解ができる。文字が読めればすなわち小説が理解できるのではないのと同じように、音楽も音が聞こえるからといって音楽性が理解できるわけではない。それを理解するには、人間としての豊富な「経験」や「知識」が必要とされるのだから。すでに他界された「五味康祐氏」を例にあげるなら、彼は補聴器を使わなければならないほどの難聴でありながら、メーカーの技術者が聞き分けられなかった些細な音の違いをハッキリと聞き分けていた。音は耳で聞くのではない。心で聞くものなのだ。
話を戻そう。スイッチを切り替え、信号をトーン・コントロール回路に流してCDを最初から聞き直す。効果は覿面に現れる。中央部分の定位が柔らかくなり、前後方向への奥行きがグンと深くなる。ビリー・ホリデイの声にも艶やかさと厚みが出て、肉声を聴いているような雰囲気が出てくる。静かすぎてストイックに聞こえ、やや緊張感を感じた演奏がリラックスして聴ける方向へと大きく変化する。ステージ上と聴衆との一体感も出て、スタジオのセッションが生き生きしたライブに変わる。それと引き替えに明瞭感や切れ味はやや後退するが、それは仕方のないトレードだ。
トーン・コントロール回路に信号を流し意図的な信号の劣化を引き起こすことで、雰囲気の濃さは大いに改善した。しかし、それでも"Syn"+"Tyr"のような、濃い魅力は出ない。少し残念に感じながら、再びスイッチを切り替えトーン・コントロール回路を切り離す。するとどうだろう?音の質がグンと向上するのは想像通りだが、なぜか雰囲気の濃さも十分に再現されるではないか!
音が元に戻っただけなのに、最初に聞いたときと印象がかなり違う。直前にどんな音を聞いていたか?で音の印象が変わる(耳は聞こえてくる音に合わせてチューニングされるため)事は知っているが、これほどまでに大きく変わるのは始めてだった。この音なら、悪くないどころか傾向は違っても"Syn"+"Tyr"と充分に互するだろう。
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